体、心、暮らしを整える
激動の時代の変化をジワジワ感じる今日この頃。
今年に入っての一月はあっという間に過ぎ「節分」です。
私はというと、昨年末から長引いた風邪と咳に悩まされながらお正月を過ごし、年初めには風邪っぴきのまま、楽しみにしていたクアラルンプール行きを決行。その結果、帰りの飛行機ではコロナをもらってその後隔離生活。。。
嫌いなお薬を3週間飲み続けたのは初めてでした。
隔離といっても、ちょうど夫もアメリカに出張しており12日間一人暮らしだったので、自分で胃に優しいお粥を作ったり、食べる量も減らし、色々削ぎ落としていく期間に。
自ずと胃腸疲れも取れたのか、次いで自分の内面をじっくり見つめる時間を持つことができました。
新しいエネルギー✨、そんな流れを受けつける準備として、ある意味色んな膿を出した気がします。
心身がスッキリ。
もしかしたら、私と同じように、節分や立春前には内面に意識を向ける期間を過ごされた方もいらっしゃるかもしれませんが、そんな中で私が色々と感じたこと、反省やちょっとした気づきを書いてみようと思います。
基本人生で無意味なことは起こらないだろうと思える能天気タイプなので、人に会えない時間ができた代わりに、年末に出来なかった細かい掃除や片付けをしたり、荷物や書類の整理したりと🧹環境や暮らしを見直すきっかけにもなりました。
しっかり自分に向き合う時間があると、自分との繋がりや信頼も深まる様で、心にもふと余白ができるもの。自分の内側から答えが出てくる様な、そんな感覚を覚える事があって、いつもそれは元々知っていた事だったります。
ちょうど今朝も、テレビ番組で断捨離が取り上げられていましたが、暮らしを整えるのに不要なモノや整理整頓、もう本当は必要がないものへの執着心やそんな自分を解き放つことが今とても大切な時期なのでしょうね。
Yogiは結果に執着はしないという行儀上の学びはあるけれど、どの様な意識状態で居るのかを観る事は最も大切。
遥か以前に遡って、私の中に苦の意識が確かに存在していたのだという感覚。思考、感情、(ヨガでは呼吸)が乱れたまま行動した結果が望まぬ出来事や苦しみを生む。
意識の状態が→結果になるわけだから、引きずった苦しみの意識をそのままにしないための期間や余白が必要だったんだという気づき。
パタンジャリマハリシによって系統立てられたRajaYoga
ヨーガスートラには「アパリグラハにより心が欲望や義務から自由に、またそれ故に何故生まれてきたのか、その原因と結果を知る」と記されている大切な教えである「アパリグラハ」というものがあります。「貪らないこと」ですが、サンスクリット語の訳だと「〜しないこと」という否定的な表現となってしまいます。不要なものを溜め込んだり、見返りを求めた贈り物をしたり、受け取ったりしない事も意味します。モノでも人間関係でも、全ては人間が持つ執着が心を乱す原因となるからですが、社会生活において制限する事自体が難しく、また自分の止まらない欲求にも渦中では気づかないものです。
そこで養いたい4つの美徳の中で、同じ仏教の教えである「喜捨」の精神が生きる。
喜捨とは困ってる人に進んで寄付や施し、
得たものを手放したくないという執着心、好き嫌い、こだわりを喜んで捨てる事
これによって真に解放されて自由になる事が出来てこそアパリグラハは成り立つのではと。
それ故に、執着を手放す具体的な練習として自分の得たものは周りにシェアしたり捧げる気持ちで行うYogiの精神があるんだと妙に納得したのでした。
自分の心に正直に生きる一年にしたいし、まだまだエゴだらけのこの感覚を上手に扱い、得たものをシェア出来る様に、愛を持って自分のエネルギー使っていけたらなと思います。
最後まで読んで下さり有難うございます。
皆様にとっても、たくさんの福が舞い込んで来ますように
立春大吉