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I Breathe Love

2015-03-27 07.16.43 インドでの学びをシェアしたいと思いながら時間がどんどん過ぎつつありますが、私の内側にはしっかりと、大切な言葉や気づきが刻まれています。このBlogでまとめていきたいと思います。
今回のインド行きは、3年前のSivananda YogaのTeacher’s Trainingでお世話になったまさお先生より、ウッタラカシリトリートのお誘いを受けたことがきっかけでした。

その場所がずっと行ってみたかったウッタラカシだった事に加えて、その頃ちょうど練習しているAsanaの理解をさらに深めたくなっていた事、そしてスケジュール的になんとか行けそうだった事が揃ったので、すぐに申し込みました。

ウッタラカシという場所は、雄大なヒマラヤの麓にある山村で、神話の基もここで作られたと言われ、古いインドの文献にも、多くの修行者がここに滞在し解脱した聖地として書かれている場所です。

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聖者の精神性エネルギーが満ちている事、プラーナといわれる生命エネルギーが豊富な事、浄化の河といわれているガンジス河が流れている特別な場所、、、

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一見緩やかに見える、母なるガンガーの流れは時としてとても早く、たまたま夜中に外へ出てみた時には、何事かというほどゴウゴウと地響きのような音をたてて流れていて、もの凄いパワーを感じました。

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朝は山の風景や河の流れが日の出の光と共に美しく広がり、夜は自分が大自然と一体化しているような満天の星空。
山も河も空も人間も動物も、全てが調和し共生しているといった自然の営みが感じられる場所でした。
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そこで再確認したのは、生きているもの全てが自然の一部として神聖な輝きに満ちていて、愛で溢れていて輝いているということでした。

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私の中で、インドには独特の不思議な時間軸があって、自分の中の確認したかった事や表現しきれないでいる想いとその時間軸が繋がり、訪れる度に目に見えない何かの導きを感じる出来事が用意されているように思います。

今回もそんなふうに感じる出来事が次々と目の前に展開していきました。そのいくつかが、Be Happy Yogaの主宰をされているますみさんのお計らいで、難解なVedantaの勉強会をして皆で話し合ったり、その場所に生きる村の人たちの普通の暮らしに触れたり、滅多にお目にかかれないような高い修行を積んだスワミジ達との貴重な交流の場や直接の講義、お話をいただく機会に恵まれたことでした。

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世の中には家族愛、男女の愛、慈しみの愛、自己愛、など色々な愛の形がありますが、私の中に自分の中から溢れてくる愛と思われるもの、優しさのような気持ち、確かにある純粋な愛を外に向けてどう使い、どう実践していけばいいのだろうというような疑問があって、それをどうしたら良いのかわからなくなっている状態にありました。
誰かに打ち明けるような悩みでもなく、ただ自分の中にある疑問について誰にも説明が出来ないような、もやもやとした昇華しきれてない想いがありました。
日々の何気ない生活の中でこの気持ちがなにを意味するのか、何故こんな疑問を抱いているのか、答えがなかなか見つかりませんでした。

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そんな想いを抱えたままインドへ行き、何かに導かれるようにウッタラカシにあるシバナンダアシュラムを訪問、スワミシバナンダに直接教えを受けてこられた数少ないスワミジであるプレマナンダジとの対面の時でした。

緊張しながらお茶とお菓子をいただく私たち。スワミジはグルデブ(偉大な師=スワミシバナンダ)のエピーソードや偉大な教えをゆっくり話して下さいました。

想像もしていなかったとても甲高い声で笑うスワミジの満面の笑みに、一気にその場の緊張ムードはほぐれ、暖かい大きな優しさに包まれました。自分でもよくわからなかったのですが、その瞬間、嬉しさと喜びのようなものが突然溢れて、目からは大粒の涙が溢れてきたのでした。あの感覚は私の意識の深いところに触れた瞬間でした。

私の中で得た解釈ですが、自分の中にあるどうしたら良いのかわからなかった想いと共鳴したような感覚でした。そして、はっきりとこの感覚を確認する為にここにきたのだと思えました。
それは、純粋に自分自身の中にある光を愛していればそれでよいのですよと言われたような感覚でした。

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愛には、
条件付きの愛(我欲や自己愛)=Piala,
と無条件の愛(Bhakti帰依心)=Prem
の違いがあることを聞いていました。
Pialaな愛の場合、対象物が一緒でも時によって好きや嫌いの変化は起きたりします。
また男女間の愛情、友達や親子間の愛情、ものに対する愛情は、愛着や親愛を生み、時に執着や欲望を生みます。
何故好きなのか、または嫌いなのかをわからないから揺らいでしまうといういうことでした。
好き嫌いをよく分析してみると、好きは自分にとって喜びや幸せをもたらし、嫌いは痛みや失望をもたらすもの。
許したり、受け入れたり、あきらめたり、その好きや嫌いという感情を超えてポジティブに進化をした時、全てを受け入れたり観られるようになる愛があるのではないでしょうか。

私がスワミジから感じたものはとても平和的で、好きも嫌いもない、過去も今もこれからの未来もずっと変わらないであろう大きな大きな愛でした。
おそらく、聖者と言われる人たちのおそばで、長い間善い行いをして来られたその生き方がそのようなものを醸し出しているのだろうと察しましたが、私にとってはそのような方と同じ時を過ごせるということ自体が神様からの祝福に感じる出来事でした。

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後からわかった事ですが、私が涙を流したプレマナンダジのお名前は、Swami Prem ananda (無償の愛に祝福された)という意味だったのです。

スワミジ達との面会を通して、自分の中の愛について考え方もはっきりしてきたのでした。
人に対してもそうですが、どんな現実であってもまずは、自分に起こる全てを受け入れる心構えを持ち、愛を持って生きることを目指していきたい。
そのためには、この世界には好きな部分(自分にとって良いところ)もあり、嫌いな部分(自分にとって悪いところ)も同じだけあり、いつもいつもよいことばかりはなく、いつもいつも悪いというものもない、、、どちらの良さもあるという事を知らなければならないということでした。
精神的なYogaの練習はおそらくそういう事なのだということ。
プレマナンダジの限りない大きな優しさから感じ、インドで学び得たことでした。

2015-05-15 Blog