Thankful to ancestors in Nikko🌈
今回の帰福の目的は祖母の白寿のお祝いでした。
おばあちゃんの若かりし頃のアルバムを皆で見ながら生誕100年の歴史を振り返り、家族や友人とでおばあちゃんを囲んでの温かいお祝いでした。
大好きなおばあちゃんがこうして元気に白寿を迎え100年もの間、命が続いていて、私からみたら今でもこんなに輝いていて、そして私がここにいられることの不思議というか奇跡というか、、、
おばあちゃんがすごい力で守られていること。
おじいちゃんと出会って、父が産まれ、その父と母とが出会って私の命がある事。
当たり前だけれど、そんな事をふと思ったら、次第に感謝の気持ちが湧いてきて、自分が今生かされているのもご先祖様のお陰であること。
おばあちゃんの100年の歴史の中で、特に印象的なのが、おじいちゃんとの出会い。
それは、日光東照宮のある栃木県日光でした。祖父が戦争で片足を失って、終戦病院を出てからすぐ、日光へお参りに来た事がきっかけで若い頃の祖母と出会いました。
2人が出会ったその坂が今では「良い縁坂」という名前になっていること。
(当時はそんな名前も付いてなかったそうです)
当時、日光東照宮の西奥に鎮座している二荒山神社で宮司をしていた曽祖父(おばあちゃんの父)が2人を結婚に導いたこと。
昔から何度かお参りにも行ったり聞いて知ってはいたけれど、自分がこの歳になって、写真が残っている事がとても感慨深く、何故か帰りに日光へ寄って今度はおじいちゃんの気持ちになって、ご先祖様に感謝とお礼参りしないと、と思ったのです。突発的でした。
福岡でも、いつもの様にお墓参りをしてから東京へ✈️
東京は、2日間しかなかったうち、初日に栃木県日光へ行こうと決めました。
しかも、その日は早朝から予定していた2本のYogaレッスン+Skypeレッスンをしてからの、特急に乗って二荒山神社へお参りだけという短時間。夜にはYogaの同期の友人と会う予定がありました。
偶然にも(→必然?)、その日の夜会う予定だった栃木に住む友人が午前中はお母様と日光へ行くというので、ならばそのまま日光で落ち合おう!という事に、、、不思議なことに直感的に思った事はトントン拍子に進み、無計画のまま小雨の中、ひとり日光へ。
日光駅に着いたのは15時過ぎ。
友人はお母様と一緒に他の観光を済ませて駅で私を迎えに車をスタンバイしてくれていて、地元ならではの土地勘で一走り、、、🚘
それでも余裕かまして美味しい珈琲屋さんに連れて行ってもらい、おしゃべり。
その後、拝観時間ギリギリに人の居ない二荒山神社の境内でしっかりお参りし写真撮影したり、貸し切り状態の参拝時間を過ごす事ができて本当にラッキーでした。
そしてようやく二荒山神社へ
もう拝観時間終了前ギリギリでしたけど。
もう、ここに立った時は魂がここに来れた事を喜んでいるのがわかる感じでした。
これは、蓮のデザインの銅製の鳥居でした。
ひいおじいちゃんが、宮司さんだった頃の写真。後ろの坊ちゃんは、なんと今の令和天皇だそうです。(時代を感じます)
おばあちゃんのアルバムから
友人宮司役、私天皇の侍従役?バージョン
ビデオでも色々真似して撮ってみたけどこれが後で見たら面白かった🤣
こんな無計画そしてザックリスケジュールな中、おじいちゃんと同じ場所で真似して写真撮るという、こんなアホみたいな事でもなんの抵抗無しに、臨機応変にかなりフレキシブルに対応し楽しんでくれる友人は、やっぱりYoginiだなと思いました。きっとこれもご先祖様からのご縁なんだろなと感じる時間でした。
次の日の朝ご飯用にと、実家の畑からキュウリもぎって🥒お味噌まで助けてくれるし。。。次の日の朝頂いた採れたてきゅうりの味は心にも身にも沁みました。一緒に巻き込んでしまったお母様にもお世話になり、ホントありがとうございました😊
最終日はKLでお世話になっているアシュタンガの先生がたまたまTokyoに滞在していて、KLでは1ヶ月に一度しかない彼のRedクラスを受けて帰ることが出来たり、やりたい事が淡々と進み、全てが順調に進んだのでなんだか神がかっていましたが、マレーシアに帰ったらドドドドーっと疲れが出てました。
でもようやく、写真を整理しながら、やっぱり行って良かったなと、なんだかまた最強になった様な気が致しました。✨💪😊