Way of Life
今朝、お散歩していていてある種の宗教の布教活動をしている方に出会いました。 勧誘などではなくその考えや素晴らしい真理を知ってほしいと、、、何気ない会話の中でひたむきな姿が私の心を少し開かせました。知らなければ初めから否定することも出来ないし、正直なところ宗教に対してさほど抵抗感がなかったので聞いてて良かったのですが、次第にこれは自分の感覚と何かが違うかなと感じたのでその場を早めに去りました。
私がYogaの学びを一人でも多くの人に知ってもらいたいなと思う気持ちはホントに小さな規模のものであるけれど、もしかしたらあの布教活動をしている方の気持ちと似ているのかもしれないなと思って考えました。本当は宗教かどうかなんてどうでもよいのだけれど、Yogaを伝えることと宗教を伝えることって何が違うんだろう、、そういうものに違和感を感じる人もいるのかも、と一度ゆっくりと宗教について自分がどう感じているのか考えてみようと思いました。
ムスリム国(イスラム教を国教とする国)であるマレーシアで生活するようになって、とにかく宗教が人々の生活に密接に関わりを持っていることを感じさせられる。多民族国家でもあるこの国では信仰の自由は認められているため、キリスト教も仏教もヒンズー教も、共存しながらそれぞれの生き方にしっかり浸透しているように見える。
私のような外国人にとって、敬意を持ってするマナーや、多宗教がもたらす社会的秩序や文化的多様性は、独特な雰囲気があり、それがこの国の一つの魅力だと思っている。同じ国の中でそれぞれの文化や考え方をお互いに尊重し受け入れているという意味で、人々はどの宗教が良い悪いの話ではなく、もはやお互いの崇拝している神を通して同じ神をも見ることが出来ているのではないかとさえ感じる。その視点から、聖書やコーランや経典など、行きつく真理は同じなのかもしれないと思ったり、宗教自体が特別なものではなく、違う文化の中でそれぞれの歴史的背景が関わって構築された生活スタイルのように思えてくる。
両親や一族により、生まれた時からすでに決められた宗教の教えや制度に従った生活を送ることもあるだろうし、結婚する際にその相手に合わせて改宗することもあるだろうけれど、どのような人生においても宗教は、個人の心の成長を促す大きなよりどころとなったり、自分で幸せになるための方法や考え方を手助けしてくれる一つの生き方のツールであることは確かである。
Yogaも宗教と同じく人の生き方そのものに影響するもの。その教えには、個人が実践しやすい方法がまとめられており、それにより生活の中でその方法を自分で選択しながら自分の肉体を整え精神を統一することで本当の自分を知りながら自分で自分を癒すことができると思っている。
特に、人生に降りかかる出来事や困難、人とのかかわりあいの中でこころやからだのバランスを崩してしまった時、どれだけ神様に頼って祈りを続けてもなかなかからだの不調は良くならない。そんな時こそYogaを通してクリアな状態に戻していく練習をしていくことで自分の中にこそ答えがいつもあり、どのように生きていけばよいかを知る入口となる。普通の生活の中では心も体も健康でなければなかなか本来の姿は見えてこない。
Yogaの実践では、自分の心の幸せを願い、そして誰かの幸せを願い、いつか全ての平和を願い祈る。幸せになるために生まれてきた命を大切にする生き方がYogaであると思うのです。それは幸せになるために自分の意志で選択して初めて影響されていくものだと思っている。
宗教の考え方の中にはその信仰心が人の生き方に選択の余地を持たせず、何かに頼らせる生き方にしてしまったり、何が正しくて何が正しくないかをその人の経験の可能性を否定してしまう部分があることには、少し窮屈さを感じる。一瞬で過ぎ去るこの人生において幸せを求める権利は一人一人にあって然るべきで、生き方は自分自身で決めるべきだし、どのような生き方を決めてもなお自由であるべきだと思う。
また世界では人を幸せにするはずの宗教を持つ国が争い、差別や虐殺などが起きることは本当に悲しいことだと思うし、 神を信じる人々が、神を喜ばせようとするために自分の身を捧げたり、無差別に大切な人命を奪うテロリズムの動機になったりすることはYogaとは全く逆の発想のように思う。
伝えることも実践なしにはなかなか伝わらないということ。Yogaを伝えて生きていくことはより豊かでより良い人生を送るための自分の道や勉強でもあるので少しでも私の実生活の中から生まれてくる気づきをシェアし、一人でも多くの人が心の平和に繋がるような身近なYogaを感じてもらえることを願って。