Ways of Yoga
最近は、自分を内観できるYogaに興味があるとか、瞑想に興味がありやってみたいとか、体と心の柔軟性を高める為にYogaを教えてほしいと言われることが増えてきて、その度にその人に合ったYogaを提供するには?とか、こうでなければいけないということは伝えたくないなとか、どう伝えたら私のできる範囲でその人の求めるYogaを感じてもらえるだろうかとか、そんなことばかり考えています。
私にとってYogaは自分が心も体も安定している「こうありたい自分」のようなものがあってそこに向かっていく為の方法であるし、広範囲にわたる奥深いYogaへの理解と実践には一生かかるものだと感じています。
だからYogaを伝える立場になった時、Yogaのテクニックや体の柔軟性を伸ばすことはもちろんですが、まずはYogaに対する先入観や難しさを取り去り、その人が幸せな自分を体感できるものへと繋げてゆけるようなアプローチを紹介していきたいと思ってきました。
とはいえ、Yoga本来の目的である悟りへの方法として向かうところは同じでも、色んな方向からのおおまかな知識と理解、また段階における修練が必要です。
私が頭の整理と共に今後まとめていきたいと思っていた、Yogaの部分をこれから何回かに分けて書いてみたいと思います。
本来、Yogaには次の主な4つの部門があります。4千年も昔から今のようなポーズだけではないYogaはありました。
Karma Yoga
カルマヨーガ/自分の行為の成果にとらわれることをやめて無私の心で一生懸命行動し、エゴを昇華させていく。苦しむ人を助けたいといった情熱で心の浄化をはかる。
例)無償の愛を注ぐ子育てやボランティア活動などもKarma Yogaでありマザーテレサはこの実践者として有名です
Bhakti Yoga
バクティヨーガ/心身ともに神に委ね自分の感情を祈りや詠唱によって無条件の愛や献身に向かうように変えて行き悟りの境地に達しようとする。
例)キールタンなど様々な神を称える内容の賛美をするなど
Raja Yoga
ラージャヨーガ/瞑想のYoga。体と心をコントロールするための瞑想や簡単な座法、呼吸法を用いて悟りへ導く科学的なアプローチ。
例)Rajaはサンスクリット語で「王道」という意味を持ち、現在一般的にYogaといわれる体を使って修業していくものはここから体に特化して派生したもの。
Jnana Yoga
ジニャーナヨーガ/知識と知恵のYogaとも言われ、古典を学ぶことや哲学的なアプローチにより自分の心を用いて本当の自分を探る道。
例)学ぶことで真実を知り、真の知識を身につけること
Yogaを理解しようとする時に、このいずれの道も統合的に学び、身につけることが本来のYogaを理解して行く為に大切といわれます。なぜなら、いずれかに偏ることで陥りやすいリスクを補うことができるからです。
陥りやすいリスクとは、どこかでYogaの目的や方向を見失いやすくなることです。
例えば
人への奉仕だけが生き甲斐になってしまったり、
宗教的な考えに囚われ過ぎて狂信的になってしまったり、
自分自身が病みやすくなったり、山へこもって瞑想したくなったり(笑)
テクニックや特別な能力を得ようと貪欲になったり、
どこか知的な自分や手に入れたものに執着してしまったり、
ありがちなことですが、いずれもその人の気質によって偏り、結果、生き方に関わってくることです。
私が気をつけているのはYogaに対して考え方がストイックになったり、ポーズの形や表面的な事に対して得意気になったりしたくないなということですが、このバランスが崩れていくと何故Yogaをするのかという本来の目的から外れて、謙虚でいられなくなります。
SivanandaYogaのアシュラムでのトレーニングは、早朝から夜中までびっしりと4つの部門が統合的に組み込まれた生活でした。もちろん、現在Yogaといえば主流のRaja Yogaが瞑想中心のものからHatha Yogaという体を強くすることで心を鍛える修業法へ発展したことから、アサナを中心としたティーチングやプラクティスが中心なのはもちろんでしたが、これに加えもっと深いスピリチャルな部分の修行によって統合的なYogaの大切さを知りました。ここでは、自分が変わるというよりもエゴが減っていき全てが浄化されていくなかで本来の自分の姿を感じる事もできました。まさにYogaとはこういう事かといった感覚を覚えています。
それまでYogaの真の目的を知らずにYogaが好きで続けてきた私にとって、身体的にも精神的にもハードな限られた一ヶ月を過ごしましたが、ここで得た持論は、この各部門を、出来ることから個人の実生活の中で実践することで、最終的に生き方そのものがYogaになればいいのだということでした。
誰にでも限られた人生は、限られた取捨選択の連続でしかありません。
もちろん、体を鍛えることを中心としたYogaの道を突き進んでいくことは大切ですし、自分のできる限りの事を目の前にある事から真摯に取り組んでいくというのが大切です。
全部を一度に理解しようとしたり、環境を無理に変える必要はなく(理解をするにはこの人生一度では足りないから輪廻転生があるのだと思います)今できることをやり、今必要なものを自分で選択し充分に楽しめればいいと考えています。
ここで大切になってくるのが普段の生活のなかでYogaを通して自分を知っていく練習だと思います。
そこで今後Yogaの主要な道と本来の目的モクシャ(悟り)へ至るための道程において、自分と向き合うためのツールとなり色んな方に取り入れてもらえるようなYogaの修業法をひとつづつ紹介していきながら、ハイキングを楽しむように焦らずゆっくりとYogaの山道を一緒に登っていきたいなと考えています。
次回はRajaYogaの修行を進める段階式訓練法です。
Yogaの道へようこそ!