NEWS & EVENTS

Basic Ethical Guidelines For Living Life of Yoga — Yamas

 
 
20150309_120332 (1)
 
 
Yogaの8つのステップを基に、Yogaの道を一歩づつ、進んでいきたいと思います。
 
パタンジャリが八支に分けた段階のはじめの項目、ヤーマについて
 
これはYogaの修業のなかでは必ず守らねばならない、絶対的なDiscipline(規律)です。
そうはいっても日常生活において、どれもこれも禁欲的にならなければという必要はありません。
 
人それぞれ生活する中で習慣の違いがあり、親から学んだ常識や道徳に差があったり、また宗教による考え方の違いを持つ事があると思います。
 
私にとっては、自分の意志の弱さゆえに生じる苦しみやマイナス感情をもたらす考え方を正したり、より良い方向へ向かう為の心の訓練法ガイドラインのようなものだと思っています。
 
この便利な世の中で欲望のままに動いてしまいがちな自分の心を道徳的な規範によるアプローチにて制御することで、正しい自分を保ったり、自分で幸せになる為に決めごとを守るべきという考え方をします。
 
考え方や生き方自体を無駄なく高めるためのルールや軌道修正ツールとして役立てていこう、
穏やかな心で幸せに生きる為にそれぞれの自分の生活に合わせたガイドとしてどうぞ実験してみて下さいという感じです。
 
ただし、守っていくには自分を強く信じる事だったり、信念や覚悟といった類のどこかYogaに対する信仰心のようなものが必要だとも感じています。
 
 
それではまず今回は、最初の戒め、アヒムサーについてです。
 
 アヒムサー 非暴力
サンスクリット語で ア=「否定」 ヒムサー=「暴力」「苦痛をひき起こす事」
 
暴力的なふるまいをしないこと。
行為だけでなく、ことばや思いによっても苦痛を引き起こさない事です。
いかなるものも壊したり殺したり傷つけたりしてはならない。
周りの人や動物に対してはもちろん、自分自身にも決して暴力的にならないことです。
 
この世の中には、暴力的な事柄が溢れています。
 
私も気づかずに周りや自分を傷つけるような言葉や思いを持ってしまうことが実はたくさんあります。
相手の気持ちも考えずに一方的に愚痴や自分の辛さを訴えたり、心の中に怒りや嫉妬や憎しみの感情を持つだけでそれは規律に反する事になります。
 
空腹でもないのにむやみに食べること、必要以上にアルコールを飲むこと、疲れているのに無理をし過ぎてオーバーワークをしてしまうことなども全て自分に対する暴力にあたります。
 
Yogaのアーサナの練習でも、痛いのを無視して筋肉や筋を伸ばし続けたり、呼吸が止まる程がんばったり、身体を痛めることも自分への暴力的行為です。
 
自分の性格や何気ない日常のなかに、暴力的な考えや愚痴などがないか、よく注意してみてください。
 
アヒムサーを守らねばと思っていると、日常の中ではっとする事は多々あるのです。
 
マレーシアではキッチンや家の中でも小さな虫たちやゴキブリなどに遭遇する事が多く、そんな時どうしても目の前から消えて欲しいという感情が働きます。
こういう思いも考えてみれば残虐的で暴力的考えにあたります。
殺すことはできなくても虫除けスプレーやゴキブリホイホイを置いたりしているだけでも常にヒムサーを感じてしまいます。
あぁ、虫達にも自分と同じように生きる権利はあるのに、どうして私達人間だけが自分の身を守ったり快適な環境を守る為に生き物を殺したり退治したりする権利があるのでしょうか。。。
悲しい気持ちになります。
そう、どんな小さな虫やゴキブリでさえも周りを傷つけた時には、気づかないけれど自分の心にも傷は刻まれているのです。暴力という過ちは常に自分の心に存在するということです。
 
暴力、非暴力は心の状態の事です。アヒムサーを守るためには、そういう暴力的な自分の心の状態にまず気づいて、なるべくそこから離れる努力をしなければなりません。
 
それにはその暴力的な発言や行動がどこからきているのか、何故こうなったのか背景を探ってみるようにします。周囲に対する妬みや怒り、恐怖を認めることで、自分の自信のなさやそこにある不安や恐れを受け入れるのです。それは自分の命が他の生命とも繋がっていることを実感させ、宇宙万物として調和していくことに繋がります。Yogaの本当の目的はこういう方向だと思います。
 
パタンジャリの示したスートラ 第35: 非暴力に徹した者の側では全ての敵意が止む。
 
経典には、アヒムサーを徹底して実践したならば、その人は調和的なヴァイブレーションを放射するので、全ての敵対が止むという功徳がきちんと書かれています。
ブッダが赴くところにはどこにでも平和と調和と友愛をもたらしたように。
インド独立の父であるガンジーがアヒムサーの徹底により多くの人を一つに結びつけたように。
 
ヤーマのなかでも、アヒムサーは、私たちにとって大変難しい事ではありますが、Yogaを生きる上ではできて当たり前のこと、また出来なければいけないものだと思います。
生きとし生けるもの全てを尊重し、誰もが幸せでありますように
といった慈悲の心を持ってアヒムサーを実践できる愛のある人になりたいですね。
 
(次回はサティアです)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2015-03-15 Blog